上高地日記 デビュー編
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上高地に関心を持ち始めたのは、20代前半の頃だっただろうか。
そう考えると、随分と長い間忘れないで想い続けていたものだと、我ながら感心する。
でも、違った考え方をすれば、かれこれ50年近く想いだけで行くことはなかったので、ある意味、優柔不断ともいえるかも知れない。
それがほんの小さなきっかけで上高地へ行こうと、スイッチが入ったのだから不思議だ。
ある日、野麦峠道路で上高地を示す看板を見たのがスイッチオンのきっかけになった。
ここで話を少し脱線させる。
若い頃はオートバイに夢中でエネルギーの大半をオートバイに注いでいた。
21歳の時に九州と四国を除いて野宿しながら一カ月で走破したことを懐かしく思い出す。
このオートバイ旅行の目的は、北海道で牧場経営をするための下見が目的だった。
だけど、その夢はあえなく潰えることになるが、その辺の事情はまた別の折に触れてみたい。
上高地のことを書き始めるつもりが思い出にふけって随分脱線してしまったので、この辺で話を本線の上高地に戻そう。
数年前に高山へ出張した際、上高地の看板を目にして『そうだ上高地に行こう!』と、スイッチが入った。

これが上高地行きのスイッチになった看板。
多分、これを見なければ今でも上高地とは無縁だったと思う。
それから数日後の秋晴れの空を見上げて『今日上高地に行こう!』と、思い立った。
元気よく飛び出したけれど、この日は上高地を目の前にして引き返す羽目になった。
今から思えば、至極当然の結果で、下調べも準備もしないで。
能天気に途中で道草をしながらようやく釜トンネルに着いてみると、警備員の検問が目に入った。
その様子を見て嫌な予感がしたが、近づいて行くと、警備員が気の毒そうに『この先はマイカー乗り入れ禁止です』の残酷な一言に見舞われた。
そして、更に追い打ちをかけるように『シャトルバスの最終便も出た後で、今日は上高地に入れません!』。
ああ!無情!と天(実は車の天井)を仰いだが時すでに遅し!。
それもそのはずで、下調べも準備もしないで鉄砲玉の様に飛び出したのだから当然と言えば当然の結果だった。
しかし、立ち直りも早く、次の週には前回の失敗を反省して、今度は準備万端で再挑戦してようやく上高地デビューを果たした。
やっとの思いで上高地の自然に触れた時の感激はひとしおで、今ではすっかり虜になっている。
そんなほろ苦い思い出から始まった上高地詣で物語を徒然に書いていきたいと思う。
長良川に沿って走る郡上街道(国道156号線)は、四季を通じて綺麗な自然景観を楽しめます。
でも、冬場のスキーシーズンは、道路の凍結と、スキー客で渋滞するので注意してくださいね。
先ずは、最初の失敗した時の下りから・・せせらぎ街道の紅葉を見ながら上高地の紅葉はさぞかし綺麗だろうなと考えながら運転しているときはまだ幸せだった。
予定外の『せせらぎ渓谷』に立ち寄ったことが、上高地行きに黄色信号が灯り始めていたが、本人は何も気が付いていない。
もっと厳密に言えば、下調べも準備もしないで飛び出した軽はずみな行動が間違いの原因だったが、それは後から嫌と言うほど思い知ることになる。
更に、飛騨路の紅葉も見ようと欲張って大きく遠回りしたことが決定的な失敗となる。
この頃から上高地行きに赤信号が点灯していたが、能天気なスマイルは気づく由もない。
山道で、思いがけずお猿さんの群れ(家族かも?)出迎えてくれた。
嬉しくなって車を止めて眺めていたが、ここで上高地行きの信号はもう、真っ赤(お猿さんのお尻も赤い?)になっていた。
この頃から時間が気になっていたけど、まだ大丈夫と強行した時点で赤信号突破に・・。

やっとの思いで上高地入り口の釜トンネルに着いたけれど警備員が気の毒そうに『上高地はマイカー乗り入れ禁止です。シャトルバスの最終便も出た後で今日は入れません!』と、思いがけない一言で、この日はあえなくゲームオーバーとなった次第。
ここで初めて己の無知と無計画な行動の愚かさを思い知ることになったが、時すでに遅し!思わず天を仰いだ(実際は車の天井だが・・)
寂しい夜道を引き返す道中で、それでもお猿さんに会えたから良いじゃないかと自分を慰めるのが精いっぱいだった。
こうして、上高地の神様(本当にいらっしゃるらしい?)に門前払いされたけれど、次の週には立ち直って再挑戦した。失敗も多いが、立ち直りも早い・・のだ。
今度は、下調べも準備も完璧で意気揚々と出かけたものの、期待していた紅葉は色あせて、上高地のキャンパスは少し寂しい晩秋の気配だった。
それでも気を取り直して、大正池から梓川沿いに歩いて河童橋に着いた頃には、上高地の魅力の虜になっていた。
と、ここまでが、失敗談から上高地デビューした時までのレビューでした。
そんな訳で、次は新緑の上高地を訪れようと計画したけど、春がとても短くておまけに梅雨の影響で天候にも恵まれず、二度目の上高地は萌える様な緑の夏模様だった。それでも、思いがけない出会いがあって、楽しい一時を過ごすことが出来た。
秋に上高地に来たときなどは、少しでも多く見なきゃ損と、急ぎ足で歩きまわって夕方にはクタクタに疲れて帰りのハンドルが重かった。
そんな教訓を活かして、次からはゼンマイを緩めに巻いてゆったりと行動してみようと思う。そう思うと何だか少しだけ成長した様な気がしてきた。
少しは進歩したと思いたいし、たまには自分を褒めてやるのも良いと思う。何だか少し悟りを開いたみたいな気がしてきた。(ここは手前味噌なお話・・)
悟りを開いた?ところで気分を良くして焼岳と大正池について、知る範囲で(ほとんどが受け売りで恐縮ですが)紹介したいと思う。
大正池の停留所でバスを降りて少し歩いた先に険しい山が見えてきた。だけど、無知の悲しさで、その山が焼岳とは知る由も無く、ただ、見上げるばかりだった。
ねえ、見て!あのお山が焼岳だよ。凄く険しくて迫力があるね!
周りの話声にそっと聞き耳を立てると、そのお山がどうやら焼岳らしいと分かった次第・・。
そうか、あれが焼岳なのか?でもそんなに高く感じないぞ・・。
焼岳が高く感じないのは、僕たちが立っている上高地の標高が約1500メートルなので、ここから見上げても1000メートル程度の高さにしか見えないんだよ。
ほうほう!なるほど!良いことを聞いたぞ!忘れない様にメモしておこう・・・帰ったら皆に教えてやるとしよう。
そんな話を盗み聞きしながら中学校程度の地理の勉強をしようとは思いもしなかった。そう言えば、中学生の時に聞いた校長先生の訓話を思い出した。
それは、確かこんなお話だったと記憶している。
富士山を麓から見上げれると高くて綺麗に見えますが、高い山から見れば、バケツを逆さまにした程度の姿にしか見えません。
校長先生が伝えたかったのは、『皆さんも一歩一歩階段を登って自分の立ち位置を高くする様に心がけて下さい。そうすれば違った景色が見られます』
と、言う様な意味だったと今にして思うけど、その頃は何も理解できないですっかり忘れていた。
そう言えば、大谷選手も「大リーガーを憧れの目で見上げていないで堂々と対等に戦おう!」と言っていたな・・。(校長先生の訓示は重くて深かった・・・のだ)
今頃思い出しても遅いか、いや!まだ間に合う!生きている内は頑張ろう!


