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白鳥神社に伝わる大神楽

今日はスマイルです。今回は、岐阜県郡上市白鳥町に伝わる白鳥神社の大神楽を紹介します。白鳥神社の大神楽は、郡上市の無形民俗文化財に指定されていて、その発祥は、応仁の乱の頃と伝わっているそうです。

白鳥町に古くから伝わっている、白鳥踊りと共に信仰に基づいた伝統神事です。白鳥町から更に北へ上った、帰雲山(かえりくもやま)には1585年に巨大地震で一瞬にして山崩れに飲み込まれた帰雲城(かえりくもじょう)の悲しい伝説伝わっています。

現在でも傷跡が生々しく残っている

この地で多く産出された金銀を巡って、この地を納めていた、内ケ島氏と飛騨の金森氏、江馬氏、三木氏との争いが絶え間なく続いた壮絶な歴史も秘めています。この地から更に北へ上ると、合掌作りで有名な白川郷に辿り着きます。

蛇足になりますが、何かでよんだ文献によれば、この地で産出された金は、名古屋城の金の鯱にも使われたそうです。(たしか、この地の豪族の山下氏が徳川家康に仕えて名古屋城築城に関わった経緯によるかと・・)

すいません、最初から横道に逸れてしまいました。この地名は、白鳥と書いて、「シラトリ」、「シロトリ」の」二通りの読み方がありますが、正しくは、「シロトリ」のようです。

この地名の由来は、養老6年(722年)に大きな白鳥が舞い降りて「神女」に化身してこの地の近くの霊地に神社を建立せよとお告げがあったことに起因すると伝わっています。(神社の立て札に書いてあったことをそのまま書いてます)

大神楽の主役のお稚児さん(だと思う)は、長時間に渡る熱演でかなりお疲れの様子でしたが、合間の休憩時間に周りの大人たちが優しく気を使ってうちわで扇いだり、水を飲ませたりしている姿がとても微笑ましく見えました。

多分、昔は、町中でもこんな風景が見られたのでしょうが、今では山深い郷でしか見られなくなったのは少し寂しい気がします。

そう言えば、私が子供の頃は、空き地で左義長があって、そこでお餅を焼いて食べるのが楽しみでしたが、今ではそんな風景も見られなくなってしまいました。

昭和30年から40年ころには、空き地で三角ベースの野球、ドッチボール、鬼ごっこ、ビー玉遊びに夢中になって、お母さんが「夕ご飯だから帰っておいで」と呼びに来るまで夢中になっていたものでした。

道路の端で焚火をして(今では考えられません!)焼き芋を食べてのもこのころでした。そんなことを考えている内にこんな歌を思い出しました。「サザンカ、サザンカ、咲いた道、焚火だ焚火だ当たろうよ、北風ピープーふいている」ああ!懐かしい昭和の時代です。

子供の頃の懐かしいことを思い出しながら書いている内に、またまた横道にそれてしまいました。でも、スマホの画面で目を皿の様にしてゲームに夢中になっているよりはたまにはこうして、昔に帰ってみるのも良いかも知れませんね。

大神楽で踊る子供の姿を見ている内に遠い昔のことが色々思い出されて気が付けば大神楽の話から随分と横道にそれてしまいました。

白鳥町の子どもたちは、今でも川遊びをしたり、原っぱを走り回ったり、大自然の中で泥まみれになって遊びながらのびのびと育っていると思うと都会の子が何だか可哀そうに思えてきました。

今回の白鳥の大神楽は懐かしいことや、大事なことを思い出させてくれたとても貴重な体験になりました。これからも元気な限り地方の伝統文化に深く触れ合って行きたいと思います。

我が家の猫ちゃんコーナー

左側が、ションタ君、右側がココ君です。2匹とも男の子ですが、とても仲が良くていつもこんな風にくっついたりじゃれあったりしています。紅一点のデブちゃんは、押し入れの陰に隠れて今回はお休みです。

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