ブラリ京都 清水寺
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今回のテーマは清水寺です。清水寺最初に訪れたのは、小学校の修学旅行の時でした。その時の記憶は、坂道(多分茶碗坂だったと思う)を登った登り切った所で記念写真を撮ったことと、お土産屋さんで買った玩具の刀を振り回していたことくらいです。
そう言えば、何処のお土産屋さんへ行っても木刀や刀の玩具が並んでいるのは何故でしょうか?何処の観光地のお土産屋さんでもこの類のお土産は必ずと言っていいほど店頭に並んでいますね。
子供の頃から勉強嫌いで特に歴史や神社仏閣には全く興味が無かったのですが、NHKの大河ドラマで放映された、国盗り物語や、風と雲と虹とを見たのが歴史に興味を持つきっかけになった様な気がします。(随分昔の放送なので歳が分かってしまいます笑)
その影響もあってか、平安時代から鎌倉時代、室町時代にかけての時代絵巻に惹かれる様になっていきました。ドラマや歴史本で公家や貴族の華やかな表舞台を垣間見ながらその対極にいた一般庶民はどんな暮らしをしていたのだろうか?と遥か古の時代に想いを馳せていたものでした。
何の本で読んだのか忘れたけれど、鎌倉時代の武将だった太田道灌が、突然の雨に見舞われて民家の娘に蓑を所望したところ、娘が悲しげな顔をして七重八重、花は咲けども・・と、歌を詠んで貴方にお貸しできる蓑は有りません。伝えたという逸話があるそうです。
この逸話そのものは、清水寺とは関係ありませんが、貴族でも武家の娘でもない庶民の娘が思いを歌に託して伝えるという、奥ゆかしい文化が浸透していたということが驚きで不思議さを感じます。
その理由として考えてみたのは、数多の寺院に民衆が集って和歌や連歌に触れることで教養が高まっていったかも知れないと考えてみました。清水寺もそんな寺院の代表的な存在だったかも知れませんね。
そう考えてみると、歴史って本当に奥が深いものなんだなとつくづく思いました。このことに早く気が付いていればもっともっと勉強して良い成績も取れたのにと反省しきりです。でもまだ遅くはないのでこれから歴史探訪を続けて行きたい思う今日この頃です。
JR京都駅からブラブラ歩いて茶わん坂の登り口に到着しました。茶わん坂を少し登っていくと、遠くに五重塔が見えてきて何だか少し嬉しくなりました。参道に色々なお店が沢山有って、貸衣装のお店には外国人の女性が好みの和服を物色しています。同じような風景が高山や郡上八幡でも見受けられました。和服は外国の女性にはとても人気が有るみたいです。それを見ていたら私も和服に下駄ばきで歩いてみたくなりました。
本堂に入ると、大勢の観光客が、この錫杖を持ち上げようと挑戦していますが、一番大きい錫杖は誰が挑戦してもビクともしません。腕力に自信が有りそうな体格の良い外国人が顔を真っ赤にして挑んでも、錫杖はビクともしません。連れの女性にダメだと照れ笑いをしていたのが印象的でした。多分、一年中こんな風景が繰り返されているのでしょうね。
ここで、京都見学の経験談をひとつ、京都の町を見学するなら、徒歩か自転車をお勧めします。マイカーだと駐車料金が高くて駐車時間を気にしていると心に(財布にも)余裕が無くなってゆっくりと見物が出来ないからです。歩いて見て廻るのが財布にも環境にも優しいのです。(そして健康にも良い!)
そして手荷物は出来るだけ少なく、軽くすることです。京都現物を始めたころは、まるでピクニックにでも行くかの様にあれこれ詰め込んだバックが肩に食い込んで疲れ果てて帰って来るというお粗末を繰り返していましたが、最近になって少しは賢くなったみたいで、身軽にすることの大事さを学習しました。
少し賢くなった極楽トンボのスマイルは、これからも各地の伝統美や芸能、そして大自然の景色を見て歩いてYouTubeとこのブログで紹介していこうと思いますのでご意見やアドバイスをいただければ嬉しいです。
最初に登場するのは、背中に💛マークがあるココ君です。机の上で我が物顔に寝転んでお仕事の邪魔をしています。猫の手は手伝うものではなくて邪魔をするものだと悟りました。お次の登場は、ションタ君です。これまた机の上にどっかりと寝転んでモフモフ要求です。まあ、これが可愛くてお世話をさせてもらっているのだから仕方がありません。